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みどころ
大広間
「柳原草堂」の額
この木額は、外川の師である草場船山(くさばせんざん:幕末の漢学者)が書いたものです。内山家は、小字柳原の地にあるところから別名「柳原草堂」と呼ばれていました。
槍・薙刀
広間にかけてある槍・薙刀は、前田家所蔵の「伊達道具」で、明治中期に内山家へ譲られました。
表座敷
欄摩
桐のすかし彫りで、お抱えの職人稲垣才次郎によって外川時代に造られました。
表座敷の鉢前
鞍馬石の台石に御影石で造った棗形(なつめがた)の手水鉢があり、手燭石(てしょくいし)は滋賀・江州の比良石(ひらいし)、湯涌石(ゆとうせき)は京都・鞍馬の貴船石(きふねいし)、踞石(つくばいいし)は樺太(サハリン)産です。
この鉢前の下は、水琴窟となっています。
この鉢前の下は、水琴窟となっています。
内山邸の水琴窟
水琴窟が庭園の施設として扱われたのは、江戸時代であるといわれており、明治時代に盛んに作られましたが、次第に衰退の一途をたどりました。
内山邸の水琴窟は、表座敷の鉢前と月見台の横にある書院鉢前の2箇所にあります。表座敷の鉢前が明治30年頃(1897年)、書院鉢前が大正8,9年頃(1920年、1921年頃)それぞれ作られたものです。
※水琴窟とは、日本庭園の技法のひとつ。洞窟内に水滴を落としたとき発生する反響音を庭園内で楽しむもの。一般に手水(ちょうず)鉢の下の地中に甕(かめ)などを埋め込み、手水後の排水に音を生ませる形をとる。
内山邸の水琴窟は、表座敷の鉢前と月見台の横にある書院鉢前の2箇所にあります。表座敷の鉢前が明治30年頃(1897年)、書院鉢前が大正8,9年頃(1920年、1921年頃)それぞれ作られたものです。
※水琴窟とは、日本庭園の技法のひとつ。洞窟内に水滴を落としたとき発生する反響音を庭園内で楽しむもの。一般に手水(ちょうず)鉢の下の地中に甕(かめ)などを埋め込み、手水後の排水に音を生ませる形をとる。
ぬれ縁と月見台
ぬれ縁と、さらに4尺外に出ている深い軒庇、その下のタタキは他に例がないほど広くとられており、雨や雪の多い北陸の気象に合った見事な造形です。
月見台は四辺形で、床は芭蕉の葉を図案化したものです。
月見台は四辺形で、床は芭蕉の葉を図案化したものです。
書院
8畳敷で床の間と違い棚及び付書院(つけしょいん)がついています。この書院は外川が明治20年代の終り頃に付属の茶室とともに増築したもので、柱は吟味した立山杉の丸材の緻密な北半分からきりだしたものを用いています。
台子の間
台子(だいす)とは茶の湯で使う茶棚のことで、台子の間はその茶棚が置かれている茶の間のことです。主人夫婦の居間であるとともに、客の応接を行う生活の中心となった部屋です。
仏間
仏間は慶応4年に造られたものがそのまま残っています。仏像は西本願寺からいただいたもので、厨子は紫檀づくりです。
庭園
丹山惴石
表座敷南側正面に富士形の巨石を中心に左右2個の平石が配置され、ここが庭の中心的な眺めとなっています。
右2つは京都鞍馬産の紅石で庭園随一の名石であり、外川はこの富士形の巨石を「丹山惴石(たんざんずいせき)と名付けました。
右2つは京都鞍馬産の紅石で庭園随一の名石であり、外川はこの富士形の巨石を「丹山惴石(たんざんずいせき)と名付けました。
梅園
内山邸庭園東側に広がる梅園には、紅白の梅が約60本植えられています。
早いものは1月の末頃から咲き出し、3月下旬まで訪れた人たちの目を楽しませてくれます。
庭園東側は立山連峰が一望でき、残雪の山々を背景にした初春の梅は何とも上品で優美な景観をかもしだします。
開花時期の予想:2月下旬〜3月下旬
早いものは1月の末頃から咲き出し、3月下旬まで訪れた人たちの目を楽しませてくれます。
庭園東側は立山連峰が一望でき、残雪の山々を背景にした初春の梅は何とも上品で優美な景観をかもしだします。
開花時期の予想:2月下旬〜3月下旬
しだれ桜
内山邸には、4種類の桜の大木があります。
江戸末期に建てられた歴史ある有形文化財の豪農の屋敷と日本人の心のふるさと「サクラ」、そして水琴窟から醸し出される琴を弾いているような清らかな音色を感じ(聴き)ながらのサクラとの対話。
古い邸宅の歴史の重みと様々な大木のサクラとの調和を楽しむことができます。
開花時期の予想:3月下旬から4月中旬にかけ順次開花
江戸末期に建てられた歴史ある有形文化財の豪農の屋敷と日本人の心のふるさと「サクラ」、そして水琴窟から醸し出される琴を弾いているような清らかな音色を感じ(聴き)ながらのサクラとの対話。
古い邸宅の歴史の重みと様々な大木のサクラとの調和を楽しむことができます。
開花時期の予想:3月下旬から4月中旬にかけ順次開花
3つの茶室
書院の茶室
薮内流の粋を集めたものといわれ、床の間の床板は、すばらしい木目模様のなかに7個の節目が形よく並んでいる赤松の1枚板です。また、寄付待合にはたいへん珍しい持仏堂が設けられています。
茶室「夜雨廰」
はじめは、書斎でしたが外川が茶室に改造して「夜雨廰(やうちょう)」と名付けました。
書院風な面影を残し、質素で侘びた茶室になっています。
書院風な面影を残し、質素で侘びた茶室になっています。
茶室「三入庵(さんにゅうあん)」
昭和2年、薮内流家元の指導により造られ、一時は米田家(富山市東岩瀬町)に移築されましたが、昭和56年3月に復元されました。
4帖半の本勝手、腰掛待合付きの本格的な茶室です。
4帖半の本勝手、腰掛待合付きの本格的な茶室です。
柳原文庫
明治31年に12代外川が建てた土蔵造りの建物で11代年彦が集めた和書、12代外川が集めた漢籍、書画等が収められていました。昭和35年頃、市外へ移築されたと伝えられておりましたが、平成27年に復原されました。建物の壁や扉は黒漆喰仕上げです。